irukaとは|開発ストーリー
iruka、誕生
株式会社イルカ
創業者/代表取締役 小林正樹
出会い
2004年、引っ越しを機に、自転車を買いに出かけた。
どのような自転車にするか特に当てはなかったが、知人が勤めていた赤坂のショップに出向いたところ、店の一角を占めていた折りたたみ自転車たちに目を引かれた。
折りたたみ自転車を間近でじっくり見るのはそのときが初めてだった。台湾のD社、ドイツのR社、イギリスのB社など、メーカーによって折りたたみ機構が違うこと、それぞれに異なる設計思想があることを知った。
試乗してみると、どれも車輪は小さいのによく走る。これなら自転車で通勤できるじゃん。折りたたんでオフィスに持ち込めばいいじゃん。クルマや電車に積んで遊びに出かけたら楽しそうじゃん。変身ロボットみたいでおもしろいじゃん。
乗車姿勢が最もしっくりきたことなどから、その場でD社製の自転車を買うことに決めた。車輪径20インチ、9段変速、横に二つ折りにするタイプだった。価格は10万円強と安くはなかったが、早く欲しくてたまらなくなってしまったのだ。
たまたま整備の手が空いているので、少し待てばその日のうちに乗って帰ることができるという。数時間後、僕は買ったばかりのD社製自転車にまたがり、夕暮れの東京の街にペダルを踏み出した。
赤坂見附から紀之国坂を登り、四谷を通過する。渋滞がちの外堀通りでギアをトップに入れてペダルを踏み込むと、横に並んでいたクルマがみるみる後ろに遠ざかっていった。
爽快で、楽しかった。今思うと、人生が変わった一日だった。
最速最高の移動手段
それまで電車で30分ほどかけて通勤していた僕は、週明けから早速自転車通勤を始めた。
オフィスのあるビルには駐輪場がなかったが、折りたたんで自席に持ち込めば盗難や撤去の心配もない。通勤ルートは約5km、電車より時間がかかるだろうと予想していたが、いざ始めてみるとわずかながら自転車の方が早かった。電車は乗車している時間こそ短いが、ドアtoドアでは自転車の方が早いのだ。これは素敵な発見だった。
後に、都市部における5km圏内の移動では自転車が最速の移動手段であるというリサーチ結果が多く示されていることを知った。東京に半径5kmの円を描くと、山手線がほぼすっぽり入る。つまり東京都心で最も速い乗り物は自転車だといっても過言ではない。
速さもさることながら、自転車に乗ることの楽しさが僕を魅了した。自転車で走る東京の街は、電車やクルマの移動では気づかなかった、細やかで豊かな表情の変化を見せてくれる。退屈でしかなかった通勤の時間が、一日の中でも特別な、待ち遠しい時間になった。自転車は、移動の時間を心躍る楽しい時間や、深く静かな思索の時間に変えてくれるのだ。
ほどなくして、僕は都心のほとんどを自転車で移動するようになり、さらに電車やクルマに折りたたんだ自転車を積んで東京の外に旅に出る、いわゆる輪行も楽しむようになった。東北、しまなみ海道、湘南、安曇野、京都など、いずれも自転車でしか味わえない楽しさにあふれた、すばらしい旅になった。
速くて楽しい。さらに、折りたたんで他の交通手段を組み合わせることで、長距離・登り坂・悪天候といった自転車特有の弱点もカバーできる。折りたたみ自転車とは、なんてすごい乗り物だろう。
こうして僕は、折りたたみ自転車を移動のパートナーとする、新しいライフスタイルを手にしたのだった。
理想を求めて
僕はD社の折りたたみ自転車を心底気に入った。よく走るし、操作性にクセもない。直線的でシャープなルックスも素敵だ。重量は10kgジャストと、折りたたみ自転車としては非常に軽い部類に入る。実によくできた自転車である。
しかしながら、使い込んでいくうちに完璧に満足とは言いがたい点も見えてきた。例えば、折りたたんでもオフィスの机の下に入らず、新幹線では最後部にしか置けない。折りたたみサイズと形状の問題だ。また、オフィスのビルのエントランスから自席までや、駅の改札からホームまでなど、ある程度の距離を抱え上げて運ぶときは、10kgという重さは相当な負担になる。
走行性能も普段は問題ないが、スピードを出すときや登り坂などでペダルを強く踏み込むと、フレームの剛性が心もとないことがある。横に二つ折りにするタイプの折りたたみ自転車は、自転車の背骨といえるトップチューブ上に折りたたみヒンジがあるため、強い踏み込みによってボトムブラケット周辺に一定以上の負荷がかかると、ねじれ・軋みが発生するのだ。
ドイツR社の自転車はトップチューブに折りたたみヒンジがない構造でフレーム剛性は高いが、折りたたみサイズはほぼ変わらない。イギリスB社の自転車は折りたたむと約60cm四方に収まってD社やR社の自転車より持ち運びやすいが、乗車ポジションや走行感が好みではなかった。他にも数多くの折りたたみ自転車が存在するが、走行性能と携行性能のバランスを考えると、D社・R社・B社は名実ともに世界のトップスリーだ。
つまり、僕が100%満足できる折りたたみ自転車は、当時世の中には存在していなかったのだ。だからといって、自分で自転車をつくろうなどとは思っていなかった。2006年の夏までは。
起業決意
2006年当時、僕はインターネット広告代理店のオプトという会社で、財務を中心に管理部門全般を担当する取締役の立場にあった。
僕を含めた4人のメンバーが20代の頃に創業した会社で、2004年には株式を上場し、2006年の時点では年商300億円、社員数500名ほどの規模になっていた。若僧たちがワンルームマンションの一室から始めた会社としては、それなりに成功していたと言ってよいと思う。会社は伸び盛りで、僕個人も忙しく充実した毎日を送っていた。
一方で、定年といわれるような年齢まで居座るつもりはなく、この先の人生を賭けるに値する何かを新しく見つけたら、いつでもやめるつもりでいた。
その年の夏、経営チームのオフサイトミーティングで、お互いの理解を深めるため個々人の夢を共有するというアジェンダがあった。
前日だったか、メモを作ろうと自宅でPCに向かった。僕の夢はなんだろう。頭に浮かんだことをエディタに打ち込んでいく。会社に関すること、趣味のテニスやボディボードに関すること。ふと浮かんだ一行をタイプしたとき、これだ、と思った。
自分で折りたたみ自転車ブランドをつくる
エンターキーを押してテキストを確定させた瞬間、普段漠然と考えていた様々なことが結びついて、一つの像を結んだ。様々なこと、とは
- クルマより自転車が好まれる社会は、今よりハッピーになるはずだ
- 折りたたみ自転車は楽しい、もっとポピュラーになればいいのに
- 優れた折りたたみ自転車はあるが、最高と言える製品はない
- 世界市場を相手に仕事をしてみたい
- 今の知識と経験でもう一度ゼロから起業したらどうなるだろう
バラバラだったこれらの思考が一つにまとまった。
「起業しよう。すごい折りたたみ自転車をつくって世界に売り出そう。自転車中心のライフスタイルを広めて、世の中をハッピーにしよう」突然降ってきた起業のアイデアに、僕はがっちりと首筋をつかまれてしまった。
ソムリエナイフ
明けて2007年、会社をやめる準備を進めながら、Googleで探し当てたプロダクトデザイナーとともにirukaの設計を考え始めた。ユースケースを思い浮かべて、必要な条件を明確にしていく。
- メインは街乗りだが、ある程度の長距離も快適に走りたい
- 室内や電車内などに気軽に持ち込みたい
- 折りたたんだ状態で楽に持ち運びたい
- 走行機能と携行機能をできる限り少ないパーツで両立したい
- 荷物が多いときも自転車で出かけたい
- いつもそばに置いておきたくなるような、所有する喜びを感じたい
つまり求めるのは、スポーツバイクと同等以上によく走り、既存の折りたたみ自転車よりもはるかに持ち運びやすく、荷物の積載について拡張性があり、かつシンプルで美しい自転車ということだ。
一般的に、走行性能と携行性能はトレードオフの関係にある。特にボトルネックとなるのが、車輪径とホイールベース(前後輪間の距離)だ。極端に小さなサイズのタイヤを用いて車体を短くすれば小さな自転車をつくることはできるが、それでは走行性が犠牲になってしまう。
走行性能と携行性能を両立させるためには、車輪径は18インチ以上でジオメトリはスポーツバイクと大きく変わらず、トップチューブにヒンジのないフレーム構造、それでいて小さく折りたためて、持ち運びやすい工夫がなされた自転車をつくらねばならない ― これまでにない画期的な折りたたみ機構が必要だ。
ブレインストーミングとスケッチを繰り返したが、良いアイデアを考えつくことができないまま、時間が過ぎていった。
一年近く検討を重ねた、年末近くのことだった。友人の結婚式に出席していた僕は、披露宴のスタッフの方が手にしていた折りたたみ式のワインオープナー、いわゆるソムリエナイフに目を止めた。ハンドル部の頂点を結んだ線の中に、ナイフ、レバー、スクリュー、すべてがコンパクトに収まっている。それを可能にしているのが、ハンドル部の弓なりの形状と、中央に入ったスリットだ。アイデアが閃いた。
年末に旅行でインドに向かう機内でエチケット袋にスケッチを書きなぐり、irukaのジャックナイフフレームの原型が生まれた。
製造パートナー
前職をやめて株式会社イルカを設立した僕は、さらに一年近くかけてirukaの基本設計を検討し、台湾と中国のOEM工場を訪ねて回り始めた。試作と量産を任せる製造パートナーを探すためだ。
かつて日本は自転車の一大生産国だったが、1990年代以降自転車製造工場のほとんどが海外との価格競争に敗れて姿を消してしまい、国内で自転車を量産することは極めて難しくなっている。かわりに台頭したのが、台湾と中国だ。今では欧米の有名ブランドの自転車も、ほとんどが台湾と中国のOEM工場でつくられているのが実情である。
製造パートナー探しは ― 思うようにいかなかった。どの工場も「おもしろい」「クールだ」とポジティブな反応を示すのだが、いざ製造をとなるとまったく前に進まない。
様々な要因があるが、最大の理由は、新開発の機構やパーツばかりで、量産を始めるまでには相当な時間と人的リソースが必要と見込まれることだった。一言で言えば、面倒で先行きの見えないプロジェクトだったのだ。
また、僕たちの手元には設計データしかなく、実際の「もの」がないことも一因だった。逆説的だが、ものづくりは実際に触って議論するための「もの」がないと、なかなか具体化しないのだ。本気度も伝わらない。
そこで、日本の個人経営の工房で鉄製の簡易なスケルトンモデルをつくって持参するようにしたところ、上海近郊の工場が「やってもよい」と手を挙げてくれた。
が、その工場は試作車を一回つくったところで、irukaに積極的だった工場責任者の退職などがあってプロジェクトが頓挫してしまう。
その後も、irukaの開発の難易度の高さと、妥協を許さず細部にこだわる僕たちの姿勢に愛想を尽かすのか、ある工場は一度の試作でギブアップしてしまったり、ある工場は試作が途中で止まってしまったりといったことが続き、そのたびにまた工場を一から探さざるをえなかった。製造パートナー探しは長い旅となった。
iruka、誕生
中国と台湾の工場を転々としながら試作を繰り返すうちに、irukaの設計は大きく変わっていった。フロントフォークの構造、ステムの折りたたみ機構、各部のロック方法、トップチューブの製法、ワイヤー類のレイアウトなど、ほぼすべての構成要素が当初の案から見直され、ブラッシュアップされていった。変わらなかったのはジャックナイフフレームの基本コンセプトくらいだろう。図面や3Dモデリング上では問題ないように見えても、実際につくって動かしてみると、うまく機能しない箇所が見つかったり、もっと良い設計を思いついたりする。また、同時にキャリアアタッチメントの開発を進めたことによって、iruka本体へのフィードバックも生まれた。ものづくりは、つくってみないとわからないことばかりなのだ。
その作業はとても刺激的で楽しかったが、いつまでも試作を繰り返しているわけにはいかない。次のモデルでディテールを詰めて発売スペックを固めたい、そう考えていた2015年の冬、知人の紹介で台湾中部に工場を構えるJ社に出会った。J社は小規模ながら折りたたみ自転車を中心にユニークな自転車を数多く開発している会社で、自身が優秀なエンジニアである社長がirukaをいたく気に入り、試作から量産まで自ら指揮をとって進めたいという。
彼の知見と経験は、irukaの完成度をさらに高めてくれることとなった。J社の元でさらに二度の試作を経て、2019年、irukaの量産ラインが立ち上がった。
そして今、irukaはあなたのパートナーとして迎えられるときを、静かに待っています。